庭の心 〜庭づくりへの想い〜

狭山丘陵と私

私の生まれ育った武蔵村山市は、北に狭山丘陵が控え、南には平らな畑が広がる、鉄道も国道も無いのんびりとした町です。

裏山・狭山丘陵

狭山丘陵は武蔵野に残された小さな丘陵です。

奥多摩の山々に登ることがあったら、見下ろしてみてください。その形がよく分かると思います。

私がそんなふうに狭山丘陵を眺めたのは子供の頃だったので細かくは覚えていませんが、真っ平らな武蔵野(ここでは埼玉、東京)、その平野を流れる多摩川と入間川の間辺りにかろうじてポコッと取り残されたようにあり、『なんだ、あんなにちっちゃいんだ』と思いました。

詳しいことはよく知りませんが、きっとはるか昔奥多摩や秩父からしみ出した水が山を削り川をつくり、蛇行を繰り返しながら、長いながい年月を掛けて平野をつくったのでしょう。

 

平成に入る少し前くらいまでは、谷戸※には田んぼがまだあり、通り道はゆるやかに曲がりくねっていて、 今よく言われる「里山」そのものでした。

せせらぎ

せせらぎにはカエルやザリガニ、トウキョウサンショウオが棲み、春、そいつらがたくさんの卵を産み付けます。

落葉樹はこれ以上ないくらいの清らかさで芽を吹かし、あたりは一面淡い萌葱色になります。

夏、夜はカエルの合唱がにぎやかです。

カブトムシが飛び交い、夜明けの頃は青紫色の空にカラスがぱらぱらと出かけていき、コジュケイやホトトギスの声が山にはずんでいます。

そんな山の麓はいつも子供たちでにぎわっていました。

 

そのさわがしげな山のふもとからもっと奥に入っていくと破けた金網が結界となっていて、その奥は落葉樹の多い穏やかな山の世界です。

 

さらに奥に行くと沼があり、小川が流れ、木々は競い合って幹や枝をぐんぐんと空に向かってのばし、山藤のつるがそれにからみついています。 その中をまたしばらく行くと、空がぱっと開けます。湖です。

 

山へ向かう道

人造湖ですが、裏手から見る形になるので堤防が見えず、まるで自然の湖のようです。大人しい山並みが幾重にもつづき、水面がその向こうに消えていきます。

水面に近い山のふもとは土肌が現れ、川が流れ込む平らなところにはアシが生えています。

それらの狭山丘陵を造るすべてのものは、人の入り込めない大自然というわけじゃなく、けれど充分に山野に生きるものの息づかいが感じられました。

なんせ狭山「丘陵」と言うくらいですからすべてのものがコンパクトにまとまっていて、 子供の頃の私にとって最高の遊び場だったのです。

 

※「谷戸」・・・ 谷戸(やと)とは低湿地帯で、浸食された丘陵地の谷状の地形を利用した農業とそれに付随する生態系、またはその地形自体。関東や東北の丘陵地を主に指し、古くからの集落を持つおだやかな里山が多い。

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山が怒る

小さい頃、雨の日に校庭に傘の先で溝を掘って川に見立てて遊びました。はじめは自分たちで作った川も、流れ込む雨水で少しずつ生き物のように動き出して、形を変えていきました。

奥多摩の山々から見下ろした武蔵野は、子供の私には学校の校庭に見えました。しかし家に帰ると裏山は果てしなく広いのです。

そして、おもしろいことにその裏山のある場所からは水がしみ出し、山を削り、川となって平らな所を作っているのです。

その平らなところが田んぼです。山では今も水がしみ出しています、少しずつですが。そして山を削っています、あたりまえですが。

 

山から来た水

山の中には、けもの道ほどの道があります。たいがい尾根を通っています、一番崩れにくいところです。

ところがたまに広い道に出くわします。車がやっと通れるくらいの道で砂利道なのですが、山の中腹あたりを通っています。

きっと狭山湖に検査か何かで行くために使う道なのでしょう、東京都が造った物です。そいつが何年かに一度、ドサッと崩れます。みず道のしわざです。

川ができたわけではありません、崩れたところに水も見えません、だけどみず道です。谷になっているから、あそこは弱いんです。

自然に逆らうから山が怒るんです。

私はそれを美しいと思います。

 

大切なもの

今、この時代に大切な物とは何でしょうか?

車は無くてはならないものです。私も植木屋として車が無くては仕事になりません。あちらこちら道路も沢山でき、ずいぶん走りやすくなりました、日本中どこにでも行けます。

高速道路を走っていると日本昔話のような山の家に出くわすことがあります。

感動と共に罪悪感が押し寄せます。何百年もかけてそれこそ必死に守ってきた大事な土地の上を何の気なしに、椅子に座ったまま右足を少し踏み込んで走り抜けていく、下手をすれば何も気づかずに・・・どんな気持ちであそこに住み続けたのでしょうか、現代人の私にはとうてい分かりません。

しかし生きることの意味が分かりやすくそこにあるような、そんな気が少しだけします。

民家

そこにはきっと昔からそう大して変わらない暮らしがあって、自然の音だけが聞こえて季節の移ろいを土の匂いで感じられていたはずなのに、排気ガスをまき散らし騒音をたてている。

そんなに急ぐ必要あるのか。

大切な物をみんな見落としてしまいそうです。

そう思いながらも私は2トントラックのアクセルを踏み込みます。

 

私の町にも道路が増えていきます。

区画整理も始まりとても便利です、道も真っ直ぐです。

しかしあの山と人が一緒に暮らしていた道はどこへ行ってしまうのでしょう。私は知りたいです。

新設道路

便利は大切です。今の時代ピンポイントで目的地に到達できるデジタルも無くてはならないことですが、通り過ぎてはいけない踏み消してはいけないこともあるはずです。

消してしまえば、忘れ去るのは簡単なことです。

便利なことと地道なことがうまく一緒にいられないものでしょうか。今、どうするべきなのか…。

 

 

 

そしてこんなことが今の時代に大切なことなのか分かりませんが、それでも庭とは、その時代を写すことができるものだと思っています。

平安時代の「浄土思想式庭園」、室町頃の「蓬莱思想式庭園」であったり江戸時代の文化の一つ茶の「露地庭」であったり。

昭和に入って山がどんどん潰されて雑木の庭が出てきました。

植木屋として今この時代、何が出来るかを考え、私は庭造りをしていきたいです。

 

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